全ての下克上受験生に捧げる

こんにちは

 

今回は、少し過去の話をしようかと思います。

 

僕は現在、関西のとある大学で学生をしているのですが、その大学を選んだきっかけの話をしようと思います。

 

僕の高校は偏差値が50行かないくらいでした。

いわゆる、自称進学校以下の学校です。

 

大学受験の時はクラスのほとんどが文系の私立を目指して受験するような雰囲気でした。

 

高校3年生まで、特に行きたい大学もなくどこでもいいなと思っていたのですが、とあることをきっかけで、とある関西の国立大学を目指すことになりました。

 

当時のクラスの雰囲気といえば、ワチャワチャしていて、遊びのついでに、勉強でもすればいいかというような様子でした。

 

そんなクラスで楽しくやりながらもぼくは少しずつクラスに違和感を持つようになりました。

 

このクラスは、勉強が人生でどれだけ大切な比重をしめてるかわかっていない。そう思うようになっていきました。

 

僕の実家は太くなく、母子家庭で母の少ない給料で生活していくのがやっとという環境でした。当然塾に行くお金もなく、自分でなんとかするしかない状況でした。

 

塾に行ってるからそれに安心して学校では、遊ぶ。それだけの生徒も一部いました。

 

僕は、クラスの中では、勉強しなくても点数が取れるタイプの人間でした。でも当然、多くの賢い生徒がそうであるように、僕もある程度授業を理解し隙間時間に勉強を怠ることはありませんでした。

 

授業をサボったり、寝たりすることも殆どなく地道にやってきました。そういう生徒が受験期に、今まで怠ってきたのを認めず、普通のことをしてきた生徒をあいつらは天才だと言って自己肯定する陰湿な現象が僕の高校には起きていました。

 

そんな奴らがすることは、決まって勉強会という名の集会でダラダラお喋りする。それで勉強した気になる。そこで満足して終了だ。

 

そんなことして模試で偏差値なんて上がるわけがない。

 

偏差値を上げるには、自分の足りない所が何か、出会った問題はこれまで解いた問題のどれに類似していてどう言ったアプローチが最適なのか時間をかけて考える必要があると思う。

 

僕は、センター試験で失敗したものの、なんとか無事合格できた。自分なりに傾向と対策を考え実際に行動に移したからだ。

 

だが彼らはどうなったのだろうか?

 

僕の知る限り大半は落ちた。

 

そして彼らは努力をしていないから、浪人するほどの根気もなかった。彼らは自分が勉強していると勘違いし、実際の能力より上の大学に挑戦してしまっていたのだ。

 

受験という人生の中で、大事なタームに熱を込めてやれない人間は何をしても頑張れないと思う。

 

本気でそこにいきたければ、当然足掻くだろう。

この定説が、自称進学校以下の学校では、恐らく通用しない。あるのはいかに努力せずに進む道があるかどうかだ。

 

今、そんな環境にいるみんなに考えてみてほしい。

将来、自分が職に就きたいときに苦しみ、家庭を持ったとき、困窮する確率の高い道を選ぶか

 

それとも、明るい未来を選ぶか

 

客観的に見れば、結果は誰の目にもわかるだろう。

 

だから頑張ってほしい。

 

ただそれだけの願いである。明るい日本の未来のために