量産型大学生に価値はない
#春から〇〇大
くうう眩しすぎる
大学入試という激しい凌ぎを削る戦を終えた高校生よおめでとう
長い道のりを越え、幾多の屍の上に立つ君たちに伝えたいことがある。
それは
量産型になるな!
そんなことをくそつまらん量産型もどきがお伝えいたします。
恐縮ながらかくいう私も、高校時代にはそういうものに憧れておりました。
文化系を馬鹿にし、失明するんじゃないかと思うほどキラキラした学生が至高だと思っておりました。
高校生の頃は毎日BBQなるものをして異性と触れ合い、彼女と充実した生活を送りながらも趣味に充実した生活を送る人間こそが大学生であると個人的に定義していたのです。
だが、現実は甘くなかった。
現に今私はこうして画面の前で必死に文字を綴っている身なのです。
サークルの新歓に行き、持て囃されて調子に乗っていたし、イキリ散らかしていたこともありました。
そういう生活をして気づいたのがこんなのなんの価値も見出せないということです。
ましてや、うまくもない飯と酒に払う金など私にはありませんでした。
大学生ですべきことは、趣味を追ったり、大人からみたら無駄だろうと思うようなものを必死に追いかけたりすることだと思います。
みんなでワイワイするのが楽しいならそうすればいいです。
でもそこに残るものを考えてみるのもいいかもしれない。
何も残らないのであれば踏みとどまってみて欲しい。
思い出作りにはいいのかもしれないがそんなことしなくても、思い出も仲間も増えていくはずなのである。
昔の自分がそうであったように、キラキラ大学生に憧れを抱く高校生は多いだろう。
理由は推論ではあるが、SNSによるものだろう。みんなが同じような投稿をし、そこにいいねがつく。
そのいいねの数=人生の充実度だと勘違いしている人間がいるのだろう。
実際はどうだろうか?
いいねの数だけ充実しているとは言い切れないだろう。
それに投稿のためにずっと写真を撮っているようなコミュニティが楽しいとは思えるのだろうか。
少なくとも私はそうは思えない。
学生は何をしても許される期間であり、大学生はその最終フェーズである。
やれることも増え、世界の見方も変わっているだろう。
その中で時間もお金も浪費してしまっていいのだろうか?
貴重な時間を最大和で有効活用していくためには何が必要かを考えてみて欲しい。
これにも書いた通り、「消費・浪費・投資」という考えは学生が身につけておいても損はないだろう。
上部だけ見て、それ以外を見ないのは些か勿体無い気がする。
だからこそいろんなことに挑戦していって欲しい。
海外に行ってみたり、普段よらないようなお店に行ってみたりなどいろんな体験をしてみて欲しい。
人がやることよりもやらないこと、普通じゃ見れない景色やものにお金を払って欲しい。
これは自分の人生の軸となるコンセプトでもある。
みんなが手に入れやすいものじゃないから価値がある。
楽しさの純度を高めて、より幸福度の高い学生生活を計画して戴けると幸いであります。
勉強はしないよりしたほうがいいというのは、大学生になる人間なら痛いほどわかると思うから敢えては言わないが、とにかく次に生きるような選択をしていって欲しい。
本を読んだり、映画を見たり、恋愛したり、たまに酔っ払って潰れたり、友達と泣くほど笑ったりするのが青春だと思う。
大勢で遊び、個人でも遊ぶ。一生が遊びだから、洗練された遊びを繰り広げよう。
人生は短く儚いものなので、最後の最後まで遊び尽くして欲しいです。