一般大学生が考える「21世紀の資本」と日本の将来
- 最近YouTubeである動画がおすすめに出てきた。
21世紀の資本という本はご存知だろうか?
まあこんな小さなサイトにたどり着けるような皆様方になら、説明は不要だろうが簡単に説明するとこうだ。
要約
「21世紀の資本」は、「今の時代は、資本家と労働者に分かれており、その格差は今後ますます増えていくだろう。」という見解を、過去の歴史学的データから、格差の広がりを示している学術書である。
そしてその格差是正のためには、資本への干渉(税をかける)という制度を全世界が連携して行う必要があるというのが、この著書で書かれた、トマ・ピケティ氏による主張である。
このアプローチの仕方が新鮮なるものであり、アメリカの貧困層やそれに類する人たちを中心に、爆発的広がりをみせ、2010年代にベストセラーとなったのである。
数百ページに及ぶ超大作な訳だが、どういうわけかめちゃくちゃ流行ったのである。
んでこの本の主軸を担っているのがr>gという不等式であるのだ。
これは資本収益率は経済成長を常に上回っているという公式だそうだ。
この公式を彼は、歴史学的データから分析し発表したのである。
ここでいう経済成長とは前年比での国民総生産の総量の上昇率≒労働による生産の総量と考えてもいいだろう。
そうこの公式では、労働で得られる賃金よりも資本家が資本を投資してそれによって得られる金(配当金や利回りなど)の方が、得られる金額の方が多いことを示しているのです。
つまり、ここにおいてこの論理が成立する限り、資本家と労働者のクラス闘争は消ないのである。
考察
私は資本論を読んだあと、苫米地氏の『「21世紀の資本論」の問題点』という本も読んだ。
そこに書いてあったものが私の考察と似通った点が多くあった。
まず資本への課税という点である。
資本への課税というものは、キャッシュではなく、ものに税をかけるというふうに解釈してみてもいいだろう。
ものに税をかけるとどうなるか?
少し考えてみて欲しい。恐らく大多数の人は会社を経営したことがないので想像するのは少し難しいだろう(私ももれなくその一部である)。
だが義務教育は終えているので、ある程度の想像力はあるだろう。
その世界で起きうることを考えてみた。
世の中には多くの中小企業が存在する。それらが縁の下の力持ちとなって国を支えているというのは、言わずもがなであろう。
そこに課税をするとどうなるだろうか?
①町工場などの売り上げが少ないが、貴重なものを作り出している企業にしわ寄せが来る。
②税金として企業の売り上げから今よりも徴収すれば零細企業は潰れてしまう
この二つが頭に浮かんだ。
仮にこの通りに進むとどうなるか?
産業の空洞化が起こってしまいかねない。
しかもこれを著者(ここでは(トマスピケティを指す)は、全世界に課税しようというのだ。
このロジックに基づくと所有しているという理由だけで課税対象になりかねない。
確かに、資本家階級と労働者階級の違いを考えてみれば、この所有の有無というのがキーになってくるのは間違いないだろう。
だがしかし一概にそこに課税をしようとするのは、大きな問題が出てくるであろう。例えば、赤字企業に対する課税ではないか?
これは苫米地氏も述べているが、資本が課税対象ならば、そういうことは考えずに課税されることになりかねない。
それに精査しようと人間を配置すると余計にコストがかかるし、横領・賄賂の温床にもなりかねない。
もう一つの疑問点がグローバルな課税である。
当然ながらピケティの論理では全世界が横並びで税制を整えないといけない。
なぜなら、1カ国でも抜け出せばそこが脱税・タックスヘイブンのハブとなる可能性があるからだ。
だがしかしこのグローバルな課税には問題がある。
それは国際企業はどうなるのかという問題だ。
国際企業は、ある国に本社を置き、それ以外の国に現地会社と手を組み仕事をしていたり、オフィスを置いたりしている。
そこにも課税をするとなると二重課税にもなりかねない。
二重課税になってしまえば、わざわざ海外に支社を置く必要はなくなり、ブロック経済や自国完結型経済になり、経済圏を収縮しかねない。
そんな状況を今から作り出すというのは、かなり無理があるのではないだろうか?と思う。
まとめ
21世紀の資本論は経済学界に衝撃を与えた作品だそうだが、完全にイデア論であるように思えた。
全てが正しいということはあり得ないし、全てが間違いだと言い切るのもそれは違うだろう。
彼の言っていることも一理ある部分はある。
例えば資本主義に民主主義が支配されてはいけないという点である。
これは、我々も一度考え直す必要があるだろう。
現代社会は、貧富の差が大きくなっているのかもしれない。SNSの普及などにより門戸が平等に開かれているのかもしれないが、教育などを考えれば、いい大学に入っているには大体金持ちの子である。
金持ちの親が、金持ちの子を作り、貧しいところでは貧しさが継続する。そんな社会だと私は思う。
是正する必要はある。
だが、ピケティが示す(r>g)は本当に社会の自然な流れなのだろうか?
差が開くのは自然なことであって、それは止められないものなのか?
それは違うと思う。自分の努力で変えることのできる時代になりつつあるのではないかと思う。
大事なことは自分の頭で考えることであって、社会のせいにするべきでないと思う。
著書は、貧富の差の社会的責任について論じているが、それは最終手段であると私は思う。
格差是正に答えはないが、考え続ける必要があるし、彼の存在は重要になるだろう。
この本は、自分の社会を考えるいいきっかけになると思うしぜひ手にとってみていただきたい。
途中で飽きるだろうが、インテリアとして置いておくと、インテリジェンスに見せかけることもできるので、いいだろう。
賢い人間を演じるいい機会だと思って、読んでみて欲しい。
学術書なので面白さはない。
大ヒットしたそうだがいったい何人が読み切ったのだろうか?