総合商社の就職活動を終えて思う自己分析と社会で働くことについて
僕は先日、就職活動を終えた。
結果は自分自身が納得できるものではなかった。僕自身は総合商社という日本でも屈指の就職難易度を誇る業界を志望していた。
僕は留学をしていて、しかも周りには誰も留学をする人のいない地域に留学をしていたので、その経歴から総合商社なら余裕だろうと思っていた。
しかし、全敗した。理由はある程度自分の中でイメージが着くのでそれについて書いていきたい。
- なぜ落ちたのかの考察
最も大きな点だと考えられるのが、チームでの経験のなさであろうと考えられる。
僕は、チームワークをあまり好まず学生時代は基本単独で行動していた。学生の仲間内では、体育会を除いた場合、チームで行動するとビジョンや意見が一致せず空中分解してしまうことが少なくない。実際周りの友人たちも途中でやめたり、中途半端に終えたという話を頻繁に聞く。僕は以前の記事にも書いたように、中高と偏差値の低い学校を出ており、大学に入ってあらゆる事に挑戦したいと思っていた。その際に障壁となるのが、活動における空中分解であり、意見の食い違いによって行動を制限されるのが嫌だったのだ。
一人で行動すれば、決断は自分自身の責任であるし、周りに影響をされることもないので、早いスパンでPDCAを回すことができた。実際自分の決断は間違ってなかったのだと今でも思う。
だがしかし、企業においては、チームでの行動が一番らしい。
面接では、自己紹介やガクチカ(いわゆる学生時代に最も力を入れて頑張ったこと)を話した際に、必ず突っ込まれたポイントであった。
そこに自分自身が再現性のある答えを導き出すことができなかったこと、チームワークが欠如しているかもしれないと認知されてしまったことが大きな敗因だったのであろう。
チームワークについて聞かれた時に、僕はマーベルのアベンジャーズが理想だと答えた。個々人が単体で結果を出すことができ、力を結集させた時により大きなシナジーを生み出すことができる組織こそが最強なのだと答えたのだ。
だが日本の企業はそれを求めていないのかもしれない。
日本の企業におけるチームワークとは、個人的見解だが、上からの指示に従いどれだけ従順にタスクをこなせるかであり、もし意見が食い違えば、上司の意見を汲み入れ、納得し従うという組織のことを指すものではないかと思う。
そう、僕自身が掲げていたビジョンは的外れなものだったのだ。
総合商社に関わらず、就活では体育会の出身が良い内定先を掻っ攫っていく。その理由は体育会という組織構造の中で醸成された、日本社会にフィットした組織体制での再現度の高さに由来しているのだ。
僕自身のチームワーク観は、企業側からすればやりにくいこと極まりない。
個人でのアウトプットを前提とした、組織では大企業であればあるほど、指揮が取りづらく、企業として一貫性のないものとなってしまう。それ故僕が選考から外れたのだと考える。
- 就活の自己分析とは
就職活動では、自己分析が必要だと言われる。
僕はそれ自体にはあまり意味がないのではないかと考える。
自己分析とは自分の過去の経験に基づき、やりたい仕事や業界を選定するために行う。
Aという経験からBということをしたいと考えだからCという業界を考える。
といったロジック構造となっている。
こうして考えれば、企業と自分自身のミスマッチングが避けられるということだ。
だがそれは本当に正しいのだろうか?
企業は学生に向けて自社のいい所しか見せないし、学生もその会社の良いところしか見ようとしない。働いてみないとわからないブラックボックスがあまりにも多すぎる。
説明会に参加しても企業の様子はいまいち理解することができない理由はそこにある。
この点から僕は自己分析はあまり意味のないものなのではないかと考える。
ではどうすれば良いのか
その答えは企業分析にあると考える。
つまり企業を分析し、その企業が求める人材像に自分自身をコミットさせていけば良いのだ。
人間誰しも二面性がある。
積極的にリスクをとっていきたいという願望がありながらも安定を選んでしまうというのがその一番の例だろう。
つまり、その二面性を活かして、自身のペルソナを特定していけば良いのである。
そこをベースに、自分の強み、弱みを作り上げていけばいい。
そこまで自分自身がわかっておきながら、どうして就職活動に失敗したのかについて最後に語っていきたい。
理由は大きく2点あると考えている。
それは
ある特定のものに固執してしまったこと
具体的な働けるビジョンを提示できなかったこと
この2点に限る。
一つ目に関してはあまり詳しいことは述べないが、自身が留学していた地域、言語にこだわりが強すぎたことだ。
僕自身が大学で学んだことを仕事に活かせなければ、学んだ意味がないと思っていたことが事の元凶である。
それ以外の地域でも働けると言っていたが、本当なのかと面接官が懐疑的になっていたので、もっとそこをフォローしてやればよかったと思う。
二つ目は、先述した組織体制の中で働けるのかというビジョンがあまり明確でなかった事にある。就職活動では、優秀であることはもちろんだが、それ以外にもやめないのかということも考慮に入れなければならない。
面接官からのお言葉で、やめそうだと言われたので、そこをしっかりとフォローできなかったことが敗因だったのだ。
- 社会で働くこと
社会人になるのかどうかは自分自身すごく悩んでいる事である
社会で働くとは、社会に誰かに貢献するという事だと自分の中では定義付けている。
しかしながら、自分の学生時代の活動は決して誰かの役に立つためのものではなかったのだ。広い意味で考えれば、誰かの役に立っていたのかもしれないが、全て自分自身のために行っていた。
今になって考えてみれば、自身のモチベーションの源泉は、自分自身の活躍にあり、決して誰かのための自己犠牲ではないのだと感じた。
企業に入るということは、会社の役に立たなければならないということだ。
会社に貢献できなければ、採用する意味なんてない。
僕は面接時にはなんでもやるという風に言っていたが、言葉の節々に自分のやりたいこと以外はやりたくないというマインドが散見していたのだろう。
チームのため、企業のための自己犠牲の姿勢が僕からは見られなかったのだ。
だからと言って、失敗=無能の証明ではない。
僕は就職活動を通して、人生で初めて失敗・挫折ということを経験した。
22歳という時期で初めての挫折というのは遅すぎた気がするが、これは自分自身にとって良い経験だったと将来、思えるようにしたい。
少なくとも今の段階ではそうは思えない。はじめて、希望通りに行かないという現実を目の当たりにして、正直人生を否定されたような感覚というのが率直な想いである。
僕の人生はここで終わりではない。
これからもっと辛いことも楽しいことも体験するだろう。
将来の自分にメッセージを記しておこう。
辛くなった時に、就活を思い出して欲しい。
あの時に味わった悔しさは今までの人生を大きく否定されたような気になった。
初めての挫折は挫折にしては重すぎた。
でも僕の人生はそこで決めつけられたわけでもなければ、否定されたわけでもない。
自分を落としたやつを見返してやろう。
一番強いのはいつだって今だ。
今の自分の全力を目の前の物事にぶつければそれでいい。
成功しようが失敗しようが全て自分の糧になる。
期待してるぞ。
もし数年後かわからないが、自分がこの記事を読んだときに、昔の自分を絶望させないように社会人になってもずっと牙を研いでいたい。