社会的に雑食であること
僕はあまり裕福な家庭に育ってきていない。
片親だし、住んでる地域も控えめに言ってもミドル層が到底いるとは思えない地域で育ってきた。
自分の地域を調べると、県内で一番治安が悪いとか、子供と住みたくない街ランキング一位とか不名誉なことばかり書かれている。
まあ実際そんな地域だなとも思っている。親のことは尊敬してるし、この地域で出会った人にもいいひとや大切な友人ができたりもした。
今思うとこの自分のバックグラウンドは僕を後押ししてくれていると思う。
吉田松陰は『大器は晩成す』と言葉を残した。
先天的に恵まれた人は劣悪な環境を知らないが、僕は知っている。
どういう環境かというと、自分を食い散らかす存在がいるということだ。
わかりやすく学校のシーンで説明すると、おそらく大多数の人は経験したことないだろうが、授業が成立しないのである。
生徒はじっと座れない奴がいるし、真面目に勉強している静かな生徒にちょっかい出したり、先生を教室に入れなかったり、先生を鬱に追いやることが勝利だという認識が一部の界隈にはあったり、教室の後ろでゲームをしていたり、途中で帰る奴がいて、先生がそれを引き止めていたり、、、
例を挙げるときりがない。
そう、本当に終わっているのである。
最近のトレンドで例えるなら、暴徒と化したNYの市民くらいだろうか。
そんな中で僕は生き残る術を探った。こんな書き方をすると大それた感じだが、当時は普通の生活を送りたかっただけである。
そのやり方とは単純でなんでもするということである。
時にはヤンキーたちに加担して、先生に反抗することもあったし、先生と結託することもあった。
幸いなことに僕は成績はそこそこ優秀で、先生からも周りからも一目置かれていたのでこういった風に生き残るのは容易い方だった。部活でキャプテンもしていたので顔が広かったのも功を奏した。
家は貧しいので、塾にもまともに通えないはずだったが、これも幸いなことに友人と一緒に塾の体験に行った時に個人塾の先生が僕の学力を見て、破格の値段で塾に入れてくれた。お金はなかったので講義をとることはほとんどなく自習室から微かに聞こえる先生の授業の声や友人のノートを頼りに模擬授業を想像で構築したりして、塾の勉強に必死で食らいついた。
こうして自分の勉強のスタンスを独自に開発することができたのである。
我流を貫きすぎて、教職員から不当な評価を受けることも多々あったが、自分のスタンスを変えることは決してなかった。
自分の学習法を後天的に獲得した僕は、高校でも塾に入ることなく、当時僕が通っていた学校では異例の進学実績を叩き出すことに成功した。
たまたまではあったが、ここでも自分の力で勉強法を確立し、自発的に学ぶことが合格につながったのだと確信している。
僕が後発的に獲得した学習法の根幹を構成していたのが、タイトルの雑食であるということである。
ここでの雑食とは、先ほど中学時代で書いていたとおりなんでもするということである。
先に、一言述べておきたいが、筆者は自分の道徳とルールに反することは一切しない主義である。
勉強に関していえば、文系であったが、理毛の教材も先生から借りていたり、数学の問題を効率よく解くために、数Ⅲを少しかじったり、本をめちゃくちゃ読んで関連知を増やして、知識のネットワーク化を図ったりなどいろんなアプローチで知識を蓄えた。
その一方無駄なことは一切しなかった。ノートは綺麗に取らなかったし、不必要な提出物を提出することもなかった。
こうして自己の手法で何が必要かを常にその場で選択し、中長期的な視点で計画を寝ることを常に意識して取り掛かった。
そのおかげで、今僕は不相応な環境で勉強することができている。
一方受け身で学んでいたり手法を独自に編み出すことができなかった友人たちは、先生方の評価は良くとも決して良いとは言える大学に行っていない。
最後に言っておきたいのが、プレーヤーは自分自身でつねに何が本質かを図る必要があるということである。
今のご時世はすごく消費的であると思う。
時間を潰そうと思えば無限にそうできるある意味便利な時代だ。
だがそこに意味があるのかというのを考え直していただきたい。
そこには搾取しか存在しないのではと僕は思う。自分が利用できるプレーヤーになることができなければ、奴隷の時代に逆戻りだ。
人類が何故権利を欲しがり、そのために奔走してきたか改めて考え直していきたい。
これは自戒でもある。全ての言葉を自身にも投げかけ今一度原点に立ち戻ろうと思う。
あくまで自分のバックグラウンドはここにあるんだと。
過去記事も貼っておくので気になるものあれば是非読んでみてください。
それではまた。